研究計画書やばい。死にそう。









(ITの時代においては、)印刷術の発明以降の教育の世界に特徴的であった〈世界の表象としての記号を習得すること〉としての学習(表象の学習)は色褪せ、〈自らが生き残っていくために学習の成果を偽装=捏造(シミュレート)し、それを演出(プロデュース)すること〉としての学習(シミュレーションとしての学習)が人びとを引きつけるようになる。((中略))その教育は、決して成功することは無い。逆に、世界を構成する能動的な主体という感覚を持ちながら自己への不安・不信を募らせていく個人を生みだす。〜松下良平

2007年の『教育学研究』、ちょうど最近彼女と話題にしたので、つい引用。

インターネットの出現は、学習の成果の「新しい」アウトプットを可能にした気がする。例えばblogのお知らせ機能、mixiのレビュー。読んだことを他者に知らせる(松下さんの言葉で言えば、演出)そんな行為はインターネット以前は一部のメディアを持つ人、具体的にはコラムニストのような人にしか出来なかった。そもそも、僕たちは知らせることに興味すら持っていなかった。読書とかCDは純粋に楽しむもので演出するものではなかった。
今は違う。僕たちは発表の場を得たばかりに、それが例え極小のメディアでも、確実に届く「相手」がいることで僕たちはコラムニストになった。

メディアを得た僕たち。それはすごく感動的で民主的で、でもそれだけじゃなかった。




それは、僕たちのインプットを変えた。偽装したアウトプットを作る(プロデュースする)ために、インプットが変わった。


僕はあんまり面白くない方向だと、思う。かっこつけることは、決していいことじゃない、自戒を込めて。


眠い。まとまらない。